渋谷のシンボル「忠犬ハチ公」のお話

忠犬ハチ公忠犬ハチ公

忠犬ハチ公

渋谷と言えば「忠犬ハチ公」です。
ハチは、飼い主が死去した後も駅前で帰りを待ち続けた「忠犬」として知られています。
犬種は秋田犬(あきたいぬ)で、名前はハチ。ハチ公の愛称でも呼ばれています。

忠犬ハチ公(ちゅうけんハチこう)は、東京・渋谷駅まで飼い主の帰りを出迎えに行き、飼い主の死去後も約10年にわたって通い続けました。

ハチの飼い主は東京府豊多摩郡渋谷町大向(現:東京都渋谷区松濤一丁目)に住んでいた東京帝国大学教授・上野英三郎です。彼は大変な愛犬家であり、出かける時には渋谷駅までハチと一緒でした。けれどもハチを飼い始めた翌年である1925年(大正14年)に上野は急死してしまったのです。

ハチは飼い主である上野英三郎の死後も渋谷駅前で待ちました。

亡くなった飼い主の帰りを毎日待ち続けたハチの姿は、新聞記事に掲載され、人々に感銘を与えたことから「忠犬ハチ公」と呼ばれるようになりました 。

渋谷駅ハチ公口前にはハチの銅像が設置されており、この「忠犬ハチ公像」は渋谷のシンボルともなっています。待ち合わせ場所と言えば、今でもこの「忠犬ハチ公像」前を選ぶ人が多いようです。

世界的にも観光名所として有名で、休日においてはハチの銅像周辺に外国人を含む群衆が出来るほど。

今回は、知っているようで知らない「ハチ公」のお話について書きたいと思います。

生前のハチ公

不明 – archive copy, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=1762096による

ハチ公の生涯

ハチは大正12年11月10日、秋田県で生まれ。
東京府豊多摩郡渋谷町大向(現:東京都渋谷区松濤一丁目)に住んでいた東京帝国大学教授・上野英三郎氏に飼われました。

ハチは二頭の犬たちと共に暮らし、玄関先や門の前で主人の上野氏を必ず見送り、時には最寄駅の渋谷駅まで送り迎えすることもありました。けれどハチを飼い始めて1年後、飼い主が急死してしまいました。

飼主の死後はいったん妻の親戚に預けられますが、散歩中に渋谷に向かって走ったりもめごとがあったことから、再び元の渋谷の上野宅に戻されます。

その後、ハチを幼少期から可愛がっていた植木職人の小林氏が飼うとこになりました。小林氏に可愛がられていたのにもかかわらず、渋谷駅を訪れては道行く人々を見て、食事のために小林宅に戻ってはまた渋谷駅に向かうということを繰り返していました。

ハチが渋谷駅を訪れる際には、途中の渋谷大向にある旧上野邸に必ず立ち寄って、窓から中を覗いていたといいます。

野犬と間違われて、何度も野犬狩りで捕まったり、通行人や商売人からしばしば虐待を受けたり、子供のいたずらの対象となったりしていました。そのことを、日本犬保存会初代会長が新聞に寄稿したのがきっかけでハチは一躍有名な犬になりました。

ハチ公の死

有名になったハチはハチに食べ物を持参する者も多く現れるようになったり、ハチが世界的な愛犬団体「ポチクラブ」から表彰されたり、映画に出演したりしていました。

けれども1935年(昭和10年)3月8日に死んでいるのが発見されました。
場所はは渋谷川に架かる稲荷橋付近、滝沢酒店北側路地の入口(現在の渋谷ストリーム駐車場入り口付近)。満11歳没。

ハチの死後、渋谷駅では12日にハチの告別式が行われ、上野の妻・八重や、富ヶ谷の小林夫妻、駅や町内の人々など多数参列した。また、渋谷・宮益坂にあった妙祐寺の僧侶など16人による読経が行われ、花環25、生花200、手紙や電報が180、200円を超える香典など、人間さながらの葬儀が執り行われたといいます。

解剖の結果、フィラリアの寄生と、胃袋の中の焼き鳥の串も発見されました。
心臓に重度の浸潤性癌があり、肺も転移していました。

ハチの臓器標本は東京大学農学資料館で展示されており、フィラリアの寄生も観察できます。

また、剥製も制作され、現在、国立科学博物館上野本館に展示されています。

Momotarou2012 – 投稿者自身による作品, CC 表示-継承 3.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=25019088による

忠犬ハチ公像

さて、渋谷と言えば「忠犬ハチ公像」です。

忠犬ハチ公像のプランができたのはハチが新聞により有名になた翌年です。
日本犬保存会からの依頼によりハチの像が作成されることとなり、製作者の彫塑家・安藤照の元にハチは何度も通ったそうです。

途中で資金集めと称して絵葉書を売り始める人物が現れてしまい、早く銅像を作らなければならなくなりました。忠犬ハチ公像はハチが生きているときに建てられたのはその経緯によります。

1934年(昭和9年)盛4月21日には渋谷駅前に「忠犬ハチ公像」が設置され、大に行われた銅像の除幕式にはハチ自身と300人もの著名人が参加しました。

ハチが死んだのは銅像が建てられた翌年。この際、ハチ公像の周囲は花環で埋まり、大勢の人々が集まってハチの死を哀れんだと言います。

安藤照が制作した忠犬ハチ公像は戦争によって溶解されてしまいましたが、終戦は安藤の息子であり彫刻家の安藤士により再建されました。

再建直後の同年8月30日には、来日したヘレン・ケラーが渋谷駅前を訪れてハチ公像に触れているそうです。

忠犬ハチ公

忠犬ハチ公(ちゅうけんハチこう)は、日本の忠犬。東京・渋谷駅まで飼い主の帰りを出迎えに行き、飼い主の死去後も約10年にわたって通い続けたという犬である。犬種は秋田犬(あきたいぬ)で、性別はオス。名前はハチ。ハチ公の愛称でも呼ばれている。渋谷駅ハチ公口前にはハチの銅像が設置されており、この「忠犬ハチ公像」は渋谷のシンボルともなっている。世界的にも観光名所として有名で、休日においてはハチの銅像周辺に外国人を含む群衆が出来るほどである
ハチは、飼い主が死去した後も駅前で帰りを待ち続けた「忠犬」として知られる。東京・渋谷をはじめ、ゆかりの地には像が置かれている。特に渋谷駅前のハチ公銅像は、いつしか待ち合わせの目印として使われるようになり、その銅像周囲は待ち合わせ場所として「ハチ公前」などとして親しまれている。ハチの飼い主は東京府豊多摩郡渋谷町大向(現:東京都渋谷区松濤一丁目)に住んでいた、東京帝国大学の教授である上野英三郎であった。彼は大変な愛犬家であり、出かける時には渋谷駅までハチを伴うことも多かった。しかしながらハチを飼い始めた翌年にあたる1925年(大正14年)に上野は急死した。

上野英三郎の死後も渋谷駅前で亡くなった飼い主の帰りを毎日待ち続けたハチの姿は、新聞記事に掲載され、人々に感銘を与えたことから「忠犬ハチ公」と呼ばれるようになった。

さらに、1934年(昭和9年)には渋谷駅前にハチの銅像が設置されることとなり、その除幕式にはハチ自身も参列した。同じく1934年(昭和9年)に尋常小学校2年生の修身の教科書には、「恩ヲ忘レルナ」の話題としてハチの物語が採用された[6]。これをファシズムと関連づける見解[7]があるが、1936年(昭和11年)発行の修身教科書の「恩ヲ忘レルナ」の話題は大正時代の修身教科書の「恩ヲ忘レルナ」の話題「永田佐吉の恩返し」に戻り、1938年(昭和13年)発行の修身教科書の「謝恩」の話題は大正時代の修身教科書の「謝恩」の話題「豊臣秀吉おね夫妻の恩返し」に戻っており、ハチの物語は二度と修身教科書に採用されなかった。

ハチの銅像は第二次世界大戦中の金属供出によって破壊されたが、戦後再建され、現在に至るまで渋谷のシンボルとして、また渋谷駅前における待ち合わせの目印となって立像している。
生誕
ハチは1923年(大正12年)11月10日[注釈 1]、秋田県北秋田郡二井田村(現:大館市)大子内の斉藤義一宅に八頭の兄弟で誕生した[注釈 2]。父犬の名は「オオシナイ(大子内)」、母犬の名は「ゴマ(胡麻)」で、赤毛の子犬であった。

上野宅での生活
東京帝国大学農学部で教授を務めていた上野は秋田犬の仔犬を飼いたいとの希望があり、ハチは世間瀬という人物によって上野のもとへ届けられることになった。ハチの価格は30円(当時)であり、生後間もない1924年(大正13年)1月14日、米俵に入れられて大館駅を出発。急行第702列車の荷物車にて20時間の移動後、東京の上野駅に到着した[9]。

上野の居宅は、東京府豊多摩郡渋谷町大字中渋谷字大向834番地(現:渋谷区松濤一丁目付近)にあり、ハチは、「ジョン」と「エス (S)」という二頭の犬たちと共に飼われた。このうちポインター犬のジョンは、特にハチの面倒見が良かった。

ハチは、玄関先や門の前で主人・上野を必ず見送り、時には最寄駅の渋谷駅まで送り迎えすることもあった。

上野の死後
ハチを飼い始めて1年余りが経った1925年(大正14年)5月21日、主人・上野は農学部教授会会議の後に脳溢血で倒れ、急死してしまう[5]。ハチは、この後3日間は何も食べなかった。同25日には故主・上野の通夜が行われたが、その日もハチは、ジョンとSと一緒に上野を渋谷駅まで迎えに行っていたという。

その後、ハチは上野の妻、八重の親戚の日本橋伝馬町の呉服屋へ預けられるが、人懐っこい性格から店に客が来るとすぐ飛びついてしまうため商売にならず、そのため浅草の高橋千吉(高橋子之吉[5])宅へと移された。しかし、ハチの上野を慕う心は甚だしかったためか、散歩中に渋谷へ向かって逸走するなどのことがあるほどだった[5]。さらに、ここでもハチのことで、高橋と近所の住人との間でもめごとが起こり、ハチは再び渋谷の上野宅へ戻されてしまう。

渋谷に戻ったハチは近所の畑で走り回り、作物を駄目にしてしまうということから、今度は渋谷の隣、豊多摩郡代々幡町大字代々木字富ケ谷(現:渋谷区富ヶ谷)に住んでいた上野宅出入りの植木職人で、ハチを幼少時から可愛がっていた小林菊三郎のもとに預けられる[5]。

ハチが代々木富ケ谷の小林宅に移ったのは、上野が死亡してから2年余りが経った1927年(昭和2年)秋のことであった。この頃から渋谷駅で、上野が帰宅していた時間にハチが頻繁に目撃されるようになった。

ハチは小林にもねんごろに愛育されていたのにもかかわらず、渋谷駅を訪れては道行く人々を見て、食事のために小林宅に戻ってはまた渋谷駅に向かうということを繰り返していた[5]。ハチが渋谷駅を訪れる際には、途中の渋谷大向にある旧上野邸に必ず立ち寄って、窓から中を覗いていたという。

ハチは白い犬だったが、毎日渋谷駅に来ていたため汚れてしまい、さらに当時は犬は「安産の象徴」とされており、身に付けていた胴輪を心ない人から「安産のお守り」としてよく盗まれていたため、野犬と間違われ何度も野犬狩りで捕まったが、交番で毎日ハチを見ていた警官に助けられてその度に命拾いしている[10]。ハチは逃げるのが遅かったため、簡単に捕まっていたという。

忠犬ハチ公
渋谷駅前に現れ故主を待つようになったハチは、通行人や商売人からしばしば虐待を受けたり、子供のいたずらの対象となったりしていた。

一方、上野を迎えに渋谷駅に通うハチのことを知っていた日本犬保存会初代会長・斎藤弘吉は1932年(昭和7年)、渋谷駅周辺で邪険に扱われているハチを哀れみ、ハチの事を新聞に寄稿した。これは『東京朝日新聞』に、「いとしや老犬物語」というタイトルで掲載され、その内容は人々の心を打った。ハチについては翌1933年(昭和8年)にも新聞報道され、さらに広く知られるようになり[5]、有名となったハチは「ハチ公」と呼ばれ、かわいがられるようになる。

ハチに食べ物を持参する者も多く現れるようになり、またその人気から渋谷駅はハチが駅で寝泊りすることを許すようになった[5]。ハチの晩年を写した写真では左耳が垂れているが、これは生まれつきのものではなく、野犬に噛み付かれた際の後遺症である[11]。

1933年(昭和8年)11月、ハチが世界的な愛犬団体「ポチクラブ」から表彰される。

この頃にハチを正面から撮影した写真を上野宅の近所に住んでいた女性が保存しており、2017年に白根記念渋谷区郷土博物館・文学館へ寄贈。2019年2月~3月開催の新収蔵資料展で公開された[12]。

1934年(昭和9年)、ハチが映画『あるぷす大将』(監督:山本嘉次郎)に出演する。生前のハチの姿が映像として収められた作品である。

日本に数年滞在していたブルーノ・タウトはその日記において1934年10月31日に渋谷駅でハチ公を見たと述べている。人々が優しくなでていくが、その隣には既に台座と像が置かれていることが記されている。タウトはこの時、ハチ公の写真も撮っている。

 

所在地〒150-0043  東京都渋谷区渋谷駅前
交通アクセス(1)渋谷駅から徒歩で(JR渋谷駅駅前)
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出典:Wikipedia

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